第一回 『「時務」という言葉』
かつて、一緒に自民党を離党して新党さきがけをつくった同志の一人にこう言われたことがある。
「国会は511人対1人という感じだね。」
すぐには意味がわからなかったが、その1人は私だという。衆議院議員の総数が512人の中で私だけが違っていると言う。
「革新政党も含めてなのか?」と聞くと、
「そうです。」と言う。
どこが違っているのかと聞いても笑っていて答えない。とにかくそんな感じだと言う。
本欄を書くことになって、近くハマコーさんについても書こうと思い、彼の『たまには誉めてやる』という著書をめくってみた。実は出版当時は読んだ記憶がない。
そこには私について書いたこんな一節があった。
「万が一、わが国が危急存亡の時、田中くんに総理になってほしいとの声が政界で起きるかも知れない。」「だが、もしそうなったときには、お国のために身を削ってでも尽くしてほしいと願っている。」
他ならずハマコーさんの言葉だからびっくりする。彼は私には野望がないと断定しているが、前述の同志もきっとそう言っていたのかも知れないと思った。
ただ、私は自分がどう見られているかについてあまり考えたことはなかった。最近になって過去を振り返るなかで自分を客観視する機会もあるようになった。
私は子供の頃から政治に関与する方向に何となく近づいてきた。政治に関係した人は私の周りに一人もいなかったが、敗戦から復興へと進む時代環境がそうさせたのだろう。それに恩師、友人、郷党の人々もそんな私を受け入れて応援してくれていた。
20代の頃、当時自民党代議士であった宇都宮徳馬氏に「時務を識るは俊傑に在り」という色紙をいただいた。
私はこの「時務」という言葉に強い衝撃を受け、身震いしたのを覚えている。「これだ」と思ったのだ。自分はそのために政治に関与しようとしていると自覚した。
この言葉は三国志に出てくる。「時務」とは文字通り、時の務め、時代の円滑な展開のために、その時点で必要不可欠な務めと理解している。時代の深奥からの切なる要請と言ってもよい。
従手空拳の私はもちろん組織も後援会もなかった。それなのに私が高校時代から尊敬する教育者である花岡直一先生に後援会長をお願いした。先生はそのとき
「君は時代が必要とする政治家になると信じて後援会長を引き受ける」と私に言った。
「時務」に関与し、それを果たすことに務めると期待してくれたのだ。身の引き締まる思いであった。
時代の望ましい進展を妨げる石が前方に横たわっていれば、それが大きな石であれ、小さな石であれ、誰かがどかさねば前に進めない。私はそう心得てきた。政治が「時務」をきちんと果たしていれば二度にわたる世界大戦も起きなかった。
「時務」の何たるかを識ることが政治家にとって必須の要件だと今も信じている。
2021.5.10