第六回『自民党解体論』と私

 

私は昭和49年に『自民党解体論』という本を出版した。衆院選初出馬の後で、石油ショックによるパニックも収まりつつある頃であった。この本の執筆に没頭し、母の死にも立ち合えなかった苦い思い出もある。

 私の初めての著書は『落日の戦後体制』という題名で北海道の雑誌クオリティに連載されたもので20代の文章を収録している。

 『自民党解体論』は、今や高名になっている評論家佐高信氏が勤める経済雑誌社に数回連載したものを全面加筆したものだ。私がカフェで執筆している時、ちょっと離れた席で20代の佐高氏が原稿を待っていた。

 私が何者にも縛られずに自由に書けるようにと、長野の私の同志たちが、カンパして「田中秀征出版会」なるものを設立し、そこから出版した。中身は私がすべて自分で図表なども仕上げ、表紙の題字やデザインも私の手づくりであった。

 この本の出版に当たり、私はこのタイトルと内容が、これから始まる私の政治生涯を著しく制約することを覚悟した。実際、その後、本書が良きにつけ悪しきにつけ私の言動を制約することになった。

 本書の核心部分は、当時、人気随一の若手政治家、河野洋平氏のグループに自民党離党を促したところ。自民党の外で力をためてもう一度自民党に復帰して改革を主導すべきと主張した。

 それが、昭和51年の河野離党、新自由クラブ結成につながったと書くメディアもあったが、少なからず影響を与えたことは確かだろう。当初、私はその行動に加わらなかったが、一部の新聞は「きっかけをつくった張本人が入らない」とも書いていた。

 本書については、その後、複数の文庫本出版の話もあったが、応じる気になれないできた。

 近年に至っても、『自民党解体論』について触れた本などが散見されるが、そのためかネットのオークションなどではそれなりに高値になっていると聞いて驚く。

 この本の出版については、数多くのエピソードがある。その一つは、あの「男はつらいよ」の渥美清さんも熱心に読んでくれたということだ。

 執筆当時、私は中目黒に住んでいたが、近くの駒沢通りに、行きつけのスナックがあって、そこでコーヒーを飲んだり、カウンターで原稿書きをしていた。

 時々そのカウンターの隅で、黙って本を読んでいたのが渥美清さん。私は「男はつらいよ」の最初からのファンだったが、くつろいでいる渥美清さんに声をかけることをしなかった。

 この店はI君という20代の青年が友人と共同経営していたが、彼は私に何かと親切にしてくれて本書の出版に協力してくれた。

 本が完成すると彼は、毎日のように東京の本屋を回って、その本を店に並べてくれるようにお願いして歩いてくれた。

 そして何と店の常連の渥美さんにも渡したのである。渥美さんは、彼が贈呈するというのに、どうしてもと買い取ってくれたという。

 I君は、私が初当選してからは、秘書として日程など私の政治活動の最も地味な部分を誠実に支えてくれた。

 『自民党解体論』からかれこれ50年になるが、今開いてもなるほどと思うようなところもある。

 

2021.11.10