国連常設軍の創設と全面軍縮

----国際安全保障体制の構築を急げ----

 国連の常設軍が創設されて、今度のイラクの侵攻のような事態に対しては、国連の意志により、国連の指揮のもとに出動し、世界の平和と秩序を回復する。核兵器は段階的に廃絶され、各国の軍備も大幅に削減されて、やがて国家間の紛争はもっぱら外交交渉によって解決されるようになる。

 このような世界の理想像は、長い間、人類の夢であった。特に近代以降は、大量殺戮兵器の発達と国民皆兵の時代になり、戦争による人的、物的損失が急激に増大して天文学的規模に達するようになったため、国際安全保障体制の確立が人類共通の現実的な課題として浮かび上がってきた。

 第一次大戦後の国際連盟も、第二次大戦後の国際連合も、ともに世界に二度と再び戦争が起こらないように願う国際世論を背景にした意欲的な試みであった。しかし周知のように、実効性のある国際安全保障体制は、いまだ確立されることなく現在に至っている。

 

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 日本の参加は憲法の理念に合致

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 湾岸戦争後の世界の情勢を見て、私には今度こそ国連常設軍の創設と、各国の大幅軍縮とを両輪とした国際安全保障体制を構築する可能性が生まれてきたように思われる。今こそ人類はその方向に向かって巨歩を進めるときであり、平和憲法を持つ日本はその推進者として各国の先頭に立つべきだと信じる。

 鉄は熱いうちに打て、といわれる。湾岸戦争後の混沌を収拾するためにいくつかの選択肢がある中で、二度と今回のような事態を引き起こさないために、大きな理想を念頭に置いた現実的な一歩を踏み出すべき時が来た。そうでなければ人類は、また幾百年も次の新たな機会を待たなければならないかもしれない。そして、その間、何度となく戦争が繰り返されるだろう。

「平和」の意味するところが五十年前、百年前とは比べものにならないほど大きくなり、深いものになっている。これからも人類社会が生き続けるためには、いまや「平和」は必要不可欠な要件となってきた。

 第一に、核兵器などの出現によって、戦争は一民族、一国家の死滅にとどまらず、人類の絶滅を招く危険性を持つに至った。

 第二に、たとえ局地戦争であっても、今回の油井火災や原油流出のように単に一地域の環境破壊だけではなく、地球環境全体の破壊をもたらす可能性を持つに至った。

 第三に、戦争の惨害はその時代だけでなく、何世代もの後世に対しても直接、間接の深刻な被害を及ぼすことになった。

 第四に、国家間の社会的、経済的相互依存関係が複雑化し重層化するにつれ、世界の一地域での平和の破綻が、あらゆる国家の社会、経済、生活の破綻に、たちまちのうちに直結するようになった。石油危機は、その一例である。

 これらの変化は人類が現実に一蓮托生の運命共同体であることを示している。 いまや、平和とは世界の平和であって、一国のみの平和はあり得ないほど世界は一体化しつつある。したがって「平和」はすべての国家の協力によってつくり出され、維持されねばならないものとなった。どんなに遠くの小さな戦争であっても、すべての国家にとって、もはや”対岸の火事”ではなくなったのである。

 前述の四点は、国際連盟、国際連合の創設時と現在の世界との大きな相違点である。それは国際安全保障体制の必要性が、いまや理想でなく極めて現実的要請になったことを示している。

 一口に国連常設軍といっても、その形態にはいくつかのものが考えられる。具体的な国連憲章の規定などを離れて一般的に考えると、おおよそ次のような形態あるいはその組み合わせが可能であろう。

(1)平時においては、常設軍の指揮、指令系統および本部要員のみを常設とし、派兵の必要時に各国軍に応分の派兵を要請する。各国軍は国際公務員、国連常設軍として出動し、国連の指揮下で行動する。

(2)あらかじめ各国に参加兵員数を割り当て、兵員は平時から国際公務員、国連常設軍兵員として訓練士待機する。この場合、母国において待機する形態と、世界各地に設置された国連常設軍基地に待機する形態があろう。

(3)国連加盟国が国力に応じた常設軍維持費を拠出し、その資金によって国連が直接、広く世界から常設軍兵員を公募して運営する。この場合も兵員はもちろん国際公務員となる。

 一方においてこのような国連常設軍が創設された場合、他方において各国軍は思いきった軍縮を実行しなければならない。そうでなければ、国連常設軍を創設しても効果は半減してしまう。

 各国に求められることとしてまず、核兵器、生物・化学兵器の廃絶について世界的な合意を得て段階的にそれを実行する。そのための監視査察体制の整備は当然、必要とされる。

 つぎに、現有通常兵力の大幅な削減による世界的な軍縮を実現する。

 また、今回のイラクの侵略を振り返っても、先進国による武器輸出には大きな問題がある。全面禁止に至るまでのあいだ、できるかぎり具体的な抑制策を積み上げていくべきであろう。まず手始めとして、武器の輸出および輸入国は、その具体的な取引について国連などの国際機関に報告する義務を負うモニタリング制度から始めてはどうかと考える。将来の国連常設軍の装備や規模は、一に各国の軍縮の成否にかかっている。核保有国の数が増えれば、国連常設軍もそれに対応しなければならず、通常弾頭のミサイルが廃棄されれば、国連常設軍もそれなりに軽装備ですむであろう。

 全面軍縮と国連常設軍の創設が、すべての国によって受け入れられるためには、国連が公正に運営されることが不可欠である。国連が常にすべての国を網羅し、非加盟国、脱退国が生じないようにすること。そして国連の決議を加盟国

が最優先の意志として尊重することが必要となる。国連常設軍の運営が大国や先進国の恣意に左右されないために、国連は常に中小国の権利や利益を考慮して運営されるよう細心の注意と努力が必要とされる。

 国連常設軍の出動は国際社会の平和と秩序を維持するための警察行動である。したがって、国際社会それ自身が「警察国家」にならないように十分な配慮と準備を要する。国連常設軍が、みだりに出動して国家の主権や利益を侵害したりすることのないよう、その行動は厳しく自制されなければならない。それはちょうど、国家警察がその行動を法によって厳しく規制されているのと同じである。特に、国連常設軍の出動による武力行使の前段階としての社会的、経済的制裁措置を明確に法制化しなければならない。

 このような意味でも国連常設軍の指揮、指令の中枢機能の中に、平和的中立的な外交実績のある中小国の出身者の発言権が確保されることが望ましい。

 国連常設軍の創設とそれへの参加は、日本国憲法に抵触しない。むしろ、憲法制定の際の理念に合致しその要請するところである、と私は考える。

 

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 平和の創造者を期待される日本

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 日本国憲法は、戦後日本の安全保障体制についてどのような認識のもとに成立したか。当時の歴史的経過を見ても、国連がやがて「国際安全保障体制」を確立することを信じ、その安全保障機能を信頼し、それに依存して平和と安全を確保することを希求して憲法は制定された。

 実際には国連創設直後、日本国憲法公布の段階で、すでに冷戦の兆しが見られるようになった。そしてその後二、三年で米ソ対立が予想を超えて大きく展開し、戦後世界の二極構造をつくっていくことになる。以来、国連に期待された国際安全保障機能は整備されることなく、米ソの冷戦のなかで国連はまひ状態に陥ることになった。そしてこのような国際情勢の変化のなかで、わが国は自衛隊の創設と日米安保体制によって国の安全を確保することになった。

 その時代からほぼ四十年、米ソ間の冷戦の終了によって、何もしない、何もできないといわれてきた国連が、湾岸危機に際して目を見張るような役割を果たすことになった。創設後、半世紀近く経て国連は初めて国際安全保障機能を実質的に実行的に発揮して成功をおさめた。その結果として一、二年前には夢であった国連常設軍の創設を現実の問題として考える時が来た。冷戦の終結、湾岸戦後の流動的情勢、国連の蘇生、国際世論の高まり。われわれはいま、ここを糸口として国際安全保障体制の確立に向かって確実な一歩を踏み出さねばならない。

 このような展開は本来、日本国憲法の理念が期待し要請するところであった。

 言うまでもなく日本国憲法は、第二次大戦の反省に基づいて「政府の行為によって」(前文)あるいは「国権の発動」(九条)として日本が戦争行為、武力の行使をしないことを宣言している。

 一方でまた、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」(九条)することを宣言して国際平和への積極的貢献の意志を明らかにし、「諸国民との共和による成果」(前文)を「確保」(同)する強い意欲を表明している。

 これまで述べてきた国連常設軍への参加と全面軍縮への努力は、日本が世界の平和に貢献し、国際社会の正義と同義に寄与することであって、自国の主権や国益を貫くために「国権の発動」を行うことではない。

「平和である」ことには、もちろん危険は伴わない。しかし「平和を守る」ことには、多かれ少なかれ必ず危険が伴う。「平和を守る」ためには、平和の破壊者、無法者と対決しなければならない場合があるからである。

 日本は戦後長い間、もっぱら平和の受益者として諸外国の平和への努力の恩恵を受けてきた。それは敗戦国であったこと、弱小国家であったことから許されてきたものであった。しかし今の日本は、単に平和の受益者であるだけでは許されず、平和の創造者、協力者であることを諸外国から強く期待されている。

 核の抑止力、力の均衡によっても平和は維持できるし、現に維持されてきた。しかしこれは、昨日の平和を確認できても明日の平和を保障するものではない。絶えずバランスの崩壊の危険をはらみ、軍拡、装備の更新の激烈な競争を伴う。

 冷戦の終結、米ソの国力の相対的な変化によって世界の力の均衡は大きな変動を余儀なくされている。恒久的な平和が保証されないかぎり、われわれは世界の力のバランスに無関心でいるわけにはいかない。しかし同時に世界は冷戦の終結とともに、単なる軍事力の均衡による平和から、より永続的で安定した各国間の合意に基づく平和を構築する好機を迎えている。われわれは、しっかりとこの方向を見据えて進みたい。

 政府は五月に国連軍縮会議の東京開催を要望している。その際、軍縮とともに国連常設軍の創設を話題に提供する用意はないであろうか。

 われわれは今回の湾岸戦争によって多くのことを学び、多くのことに気が付いた。国際社会から厳しい評価も受けている。何かが変わるであろうし、何かが変わらねばならない。敗戦によってわれわれの受けた歴史体験を大切にし、国民的合意を誠実に形成して、世界の平和へのわれわれの役割を果たすため、ここに国連常設軍の創設とそれに伴う各国の全面軍縮を提唱したい。

 

(月刊Asahi/'91.5)