第七回 かけがえのない北海道との縁

 

 僕の生涯で特別愛着のある土地と言えば、長野、東京、そして40年以上かよった福山だろう。

 その次はと聞かれたらそれもはっきりしている。北海道、札幌である。

 僕の札幌との縁は、すべて北海道大学と関係している。まず最初は東大を出てから学士入学したこと。そして、その後二十数年を経て再入学し卒業できたこと。

 僕は「挑戦十年」を経て初当選したものの、自民党綱領の改定に没頭し、次の総選挙で僅差でまた落選の憂き目に会う。これを「天が与えた充電のとき」として、中退していた北大に再入学したのだ。49才のときだった。

 現実政治を体験したからか、その後の大学での勉強は比べものにならないほど、深く掘り下げたものになったような気がした。昔の先生が3人ほど残っていて、「自分では気がつかないが、その年では無理だ」という先生もいたが、成績はこのときの方が良かった。

 選挙区の支持者、同志には、この再入学は内緒にしていた。僕が「これから大学に行く」と言うと、みんな「福山に教えに行く」と受け取った。できるだけ夏休みの集中講義を受けるようにしたが、それでも何度も札幌に行かねばならなかった。

 困ったのは、卒業試験が平成2年の総選挙と重なってしまったこと。それも予想して履修科目を届け出してあったが、それでも卒業は至難の業であった。

 当選の翌日に僕は大急ぎで札幌に向かって最後の試験を受け、文字通りギリギリの単位数で卒業にこぎつけた。

 この時期は、日本も世界もかつてない大転換期であった。昭和が終わる。冷戦が終わる。バブルが終わる。それなのに、世界にも、日本にも新しい進路の用意はなかった。その関心を筋にして本を読み考える機会を持てたことは、再当選後の自分の活動に大きく寄与していたと思う。

 その後僕は、北大の公共政策大学院が創設されたとき、特任教授として招かれた。そして、北大の諮問委員として総長の傍らで大学の運営に参画したこともある。いずれも「北大卒」の効用で、北大中退ではあり得なかったことだろう。

 最近しばらく御無沙汰しているが、行くたびに札幌の変貌に驚く。最初の札幌は異国に来たような強い印象を受けたが、最近は「内地」の大都市と変わらなくなった。

 連絡船で行った最初の札幌は、狸小路で、トウキビを焼く老女がいたし、北大では薪ストーブで暖を取っていた。ラーメンもまだ全国区ではなく、全国最初の炉端焼きが注目された頃であった。

 「札幌を知っている」ことは、自分にとってかけがえのない貴重な財産だと心得ている。

2021.11.30