第二回 『遠視のメガネ』

 

この間、薄暗れどき、横断歩道の途中で50代ぐらいの紳士に声を掛けられた。

「先生ですよね?明日出られますか?」

何のことか全くわからない。

「えっ?」と言うと、

「明日は日曜だから家中で先生がテレビに出るの楽しみにしてるんです。」

「明日は出る予定ではありません。」と言うと、

「そうですか。」と残念そうだった。歩きながら、

「よくわかりましたね。」と言うと、

「信号待ちのとき、ひょっとしたらと思ったもんで。何となく雰囲気で。」

 僕は外ではメガネをかけていない。それに今は大きなマスクをしている。いつも会っている人でもわからないときがあるはずだ。

 僕のメガネは遠視のメガネ。眼科医から「外ではかけてはいけない」と言われている。特に階段を降りるときは要注意とのこと。確かに外でかけると遠近感覚がおかしい感じがする。「気付かれたくないからメガネをはずしているんでしょう」と言う人もいるが、そうではない。それに僕はそれほどの有名人ではない。

 僕のメガネ歴は浅く、50代に入ってからである。だから選挙ポスターはほとんどがメガネ無しの顔。そのほうが今でもなじめるという人が少なくない。

 子どもの頃から視力が強く、遠視メガネを初めてかけたときも、もちろん近眼ではないから視力は1.5以上であった。

 大病したことも、保険を使ったこともないというのが自慢だったが、一度は徹底的に体を検査してみろと周りが言う。それで50を過ぎた頃、国立病院で23日の大検査をしてもらった。

 そのとき、リーダーをしてくれたのがベテランの女性眼科医の先生だった。僕が、「眼だけはいいんです。」と言うのに、強引に精密な検査をしてくれた。

「極度の遠視です。それにかなりの乱視でもあります。」と言われた時は、本当にびっくりした。それ以上にびっくりしたのはその次の言葉だった。

「よく高校や大学の試験が受かりましたね。」と言う。

 当時ももちろん、眼精疲労という言葉は知っていたが、そんなに深く考えたこともない。

「この眼では、一時間以上は本を読んだりできないはずです。」と言う。

 言われてみれば、確かにその通りでとても長時間の勉強に耐えられない。自分では怠け者だからそうなんだと考えてあまりそういう話をしなかった。一度眠ったら8時間以上「死んだように眠る」と言われていた。極度の遠視が原因とは知らないから、熟睡することはいいことだと思っていただけだった。

 昭和20年代の信州の小さな小学校での眼の検査は、周知の通り、担任の先生が竹の棒を持って、大小さまざまな平仮名を指して、その文字を読ませるだけだ。遠視なぞわかるはずがない。それと、坊主頭にDDTをふりまいてノミやシラミを退治したり、木づちで膝を叩いて脚気かどうか調べれば終わりだった気がする。

「だまされたつもりで遠視のメガネをかけてみて下さい。」

その先生からそう言われ、だまされたつもりでメガネをかけて本当に驚いた。生まれてから驚きのベストスリーには入るだろう。一日メガネをかけて一晩眠って起きた朝、すべてが理解できた。頭が鮮明で身が軽く、疲れがない。大仰に言うと、生まれ変わってきたような気がしたのだ。もし、あのまま年を経ていたらどうなっただろうと思う。

 この検査では、もう一つ私が知らないことがわかった。

 主治医の話では、私の頭の写真を持って、レントゲン技師が走って来て、「この人は何をしている人ですか?」と聞きに来たという。それは、「この年でこんなに右脳が大きいとは」と驚いていたという。このことも自分は知らなかったし関心もなかった。

「長時間の勉強に耐えられないから集中力や直感力は養われたでしょうね。」

先生からプラス面も聞いたのでほっとした。

 正直言って、そんな眼の異常を知る前は、人間はこんなに疲れるものなのか、それにみんな耐えて元気に生きているんだと思っていた。読書が続かないのは、自分の怠惰な性格によるものだと思って人には話さなかった。

 一昨年に免許証を更新した。そのときに眼の検査をしたが、「眼鏡をかけてもかけなくても同じですよ」と言われた。「年を取るとそうなるんですよ」と言う。だが、細かい字を読むときは明らかに違う。眼鏡のはしに「老眼」を入れてあるからだ。

 時々、もしも子どもの頃から遠視だと知り、対応していたらどうなったかを考えてみる。もちろん知っていた方が良かったと思うが、それを知らずに来たことにも良かったことが少なくないと思ったりする。

 

 老後に読もうと、私は若い頃から書物を買いためてある。買っただけで読んだ気になる変な性格だが、50代以後になって読書量は増えているのではないかと思う。それも遠視の眼鏡のおかげだと思っている。

2021.6.29