第十七回 『村山富市首相のこと(1)』

 

 首相としての人格、能力を備えていた人だった。

 

 今年は、細川護熙内閣が成立して30周年となることは知られている。そのことについては、新聞、テレビなどでも特集として報道されている。

 今年が細川政権30周年なら、来年は村山富市自社さ政権が発足して30年になるはずだ。そして、村山首相は就任前に70歳であったから、来年には100歳を迎えることになる。

 コロナ前に、僕は九州に講演があった時、博多から大分に足を延ばして村山さんを訪ねる約束をしたが、あいにく体調不良で入院することになり面会が実現しなくなった。

 前回総選挙の時に、枝野幸男立民党代表と会った村山さんの写真を見て以来、このところ元気な姿を見ていない。風の便りでは、99歳となっても、心身ともに元気だと言う。

 94年に羽田孜内閣が総辞職に至ったとき、私は次の首班指名候補として、当時社会党委員長であった村山さんを強く押した。

 全日空ホテルで武村正義、園田博之氏と朝食で会い、その時に両氏の同意を受けると、昼頃記者会見をして、さきがけは村山さんを首班指名すると発表した。

 このことについて、まず社会党が反対するはずはないし、自民党は、野党でいることに耐えられなくなっているから、連立参加できるなら必らず同調する。そしてさきがけが小さな政党であっても、この政権を主導することができる。そういう読みがあった。武村、園田両氏は、これを「コロンブスの卵」という感じで受け取り党内もまとまった。

 その翌朝、同じ議員宿舎に住む村山さんから電話があった。「アナタはワシをバカにしているのか」と強い口調で責めた。

 ところが村山擁立の流れはたった1日で一気に加速して、結果的にこの構想は実現した。

 数年前、首相を辞めて20年以上経ったとき、「どの時点で総理になる決意を固めたんですか」と村山さんに尋ねると、即座にとんでもない答が返ってきた。

 「国会で首班指名を受けた時です」と。

 それまでは、本気で自分は適任者ではないと思い続けていたのだろう。

 私はたまたま、何人かの首相と身近に接してきたが、村山さんは、首相の人格と能力を備えた数少ない人だったと思っている。

2023.9.5