第十六回 『今こそ選挙制度の大改革へ』

 

 選挙で複数の候補者に投票できる制度を「連記制」と言うが、日本では戦後最初の昭和21年の総選挙で「大選挙区連記制」が実施されている。ところが翌年にはその後長く続いた中選挙区制に変更された。

 この21年の総選挙は基本的には都道府県を一選挙区とする大選挙区で、東京など人口の多いところは複数の選挙区となった。

 そして、定数が10人以下の選挙区は2人連記、定数が11人以上の選挙区は3人連記とされた。

 例えば、定数13人の長野県は、3人に投票できる3名連記となった。

 この総選挙には、石橋湛山も勇躍東京2区から立候補した。東京2区は多摩を含む東京の西半分。12名の定数に134人も立候補し、湛山は3万票弱、21位で落選した。

 この大選挙区連記制も現在実施されたらそれなりに優れた制度だが、いかにも時期が悪過ぎた。

 まずは、戦前の議員の大半が公職追放され、有権者は候補者の人物や思想を知らない。それに、急に婦人参政権が認められたことがさらに選挙情勢を混乱させた。

 結果は、総定員(466)の8割を超す新人が当選し、婦人議員も39人が当選した。

 昭和22年の中選挙区制は、その後平成5年まで50年近く続き、平成6年(94年)の現行制度の採択に至っている。

 細川政権による選挙制度改革から30年に至ろうとする本年、この現行制度の見直し論がようやく勢いを増している。

 新しい選挙制度を導入する場合、これまでの経緯を考えると、有力な二つの選択肢がある。

 一つは、「中選挙区連記制」で、もう一つは、細川政権の政府案「小選挙区・全国区比例の並立制」である。この政府案は、93年の11月18日、衆議院で可決されて参議院に送られ、社会党などの反対で廃棄となった。

 そして、細川首相と河野洋平自民党総裁(当時)のトップ会談で、自民党案をほぼ丸呑みにして採択したのが現行制度である。

 当時は、小選挙区制を加味しなければ選挙制度改革は進まないと言うほど小選挙区熱が強かった。93年の最初の政府案の原案は私に一義的な責任があるが、小選挙区制への支持が弱くなりつつある現在なら、「中選挙区連記制」への制度変更は、それほど困難ではないと思う。

 現行制度については、細川・河野両氏ともに反省の言葉を公言している。

 当事者たちが元気な今こそ、着手して、できれば次の総選挙に間に合わせるべきではないか。

 

2023.8.2